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日々の楽しい出来事を忘れぬうちに。夕暮れの茜色の空が大好きです。


by m-bintang
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「オペラの中の女性たち」

昨夜、マスターズスイマーのK示さんからメールがあり
青少年センターでオペラのコンサートがタダで聴けるから行かれませんか?とのお誘いがありました。
人権週間記念行事のふれ愛コンサートということで
関西二期会のソリストたちがオペラのお話を判りやすく解説しつつ
オペラのさわりの部分や有名なアリアを聴かせてくれる、かなりレベルの高いコンサートで、楽しめます。とのことで、出かけてきました。

一部は市内小学生から高校生までの人権に関する作品の表彰および、作品発表。
小さい子なのに、しっかりとした自分の考えを持ってるのに驚きました。

二部はおまちかねの「オペラの中の女性たち」~音楽史の裏側から~
森池日佐子さんという方が(後で知ったけど、母校の音楽部助教授をされてるそうです)
音楽はどこから来たのか、人はなぜ歌うのだろう?というところからお話をされ、
オペラの誕生に人権が深く関わってきてることを知りました。
ローマ帝国時代のキリスト教は女性は卑しいものとされ音楽を演奏したり歌を歌ったりできなかったそうです。
その代わりにカストラートという声変わり前の少年が去勢をして
少年の声域を保ちイタリア・オペラの花形的存在として、プリマドンナの代わりを務めたそうです。
カストラートになる少年は
貧困な家庭の口減らしであったり、一攫千金の夢を託して去勢される少年達がほとんどだったそうですが、
重篤な病気や落馬、犬や家畜による怪我を“表向きの”理由としたそうです。
自らの肉体を止むを得ない理由もナシに損なう事は、教会の教えに背くからでした

手術の成功率は今のような衛生的な設備も麻酔もないことから低かったようでたとえ手術が成功しても、生還して無事(?)カストラートになれない子供もそれなりにいたらしく、
そんなカストラートは自らの命を絶たなければならぬ人も多かったそうです。
少年の声のカストラートは貴族階級の貴婦人達に絶大な人気があったそうですが
やがて18世紀の終わりと共に急速にその栄光は影を潜め、
19世紀にはいってフランス啓蒙主義がイタリアオペラのカストラートという不道徳な存在を格好の攻撃の対象とするようになると、ローマ教会は医学的な必要性の無い去勢を禁じる宣言をせざるをえなくなった。
1798年教皇はそれまで禁じていた領内の劇場での女性歌手の舞台登場を許し必然的にカストラートと女性歌手の競争生むことになったそうです。
最後のカストラート、A・モレスキが20世紀初めに死亡し、現代にはカストラート歌手は存在しません。

そんなお話を聞きながら、
「フィガロの結婚」より「あなたはご承知でしょうか」
「椿姫」より
「乾杯の歌」「あの人から遠く離れていて歓びはない」
「カルメン」より
「ハバネラ」「闘牛士の歌」「花の歌」
など間近で聞くことができました。
とくに、「闘牛士の歌」は目の前で歌ってくれて感動ものでした。
by m-bintang | 2007-12-09 21:30