美術館の帰り道、お隣にある「慶沢園」に入ってみました。
何度となく美術館には来てるのに、ここに入るのは初めてです。
慶沢園(けいたくえん)は住友家の茶臼山本邸庭園として、1908年から1918年まで10年がかりで造園されたそうで
日清戦争や日露戦争では戦争遂行の指揮をとった元老だった山縣 有朋の別荘、 無鄰庵を手掛けた庭師「植治」こと小川治兵衛が設計・施工を担当したそうです。
大小3つの島が浮かぶ池の周囲に設けられた林を回遊しながら鑑賞する、日本庭園です。
花菖蒲が咲いていました。
都会のオアシスで夏はひんやりして心地よさそうです。
歩いていたら、ベンチに缶ビールで休憩してるおっちゃんいてました。
緑の中で美味しいビールでしょう。
あずまや「四阿」(この意味がわからない。、「四阿」とかいてあずまやと呼ぶのか?
立て札には四のうえに「あず」。阿の上に「まや」と書かれてた。)
で、ちょっと休憩すると大きな鯉とたくさんのカメが寄ってきました。
カメが物欲しそうに首を思い切り伸ばして立ち泳ぎをしてて、
何かくれると思ってるのかな?
ここは静かだし、今度美術館に来たらまた立ち寄ってみようと思います。
帰ってしらべて見たら
四阿、東屋(あずまや)とは庭園などに眺望、休憩などの目的で設置される簡素な建屋。「四阿」の「阿」は棟の意味で、四方に軒を下ろした寄棟、宝形造などの屋根を持つ建造物を意味する。唐風に「亭」(ちん)とも呼ばれる。和語の「あずまや」は東国風の鄙俗な建屋を意味する。
何度となく美術館には来てるのに、ここに入るのは初めてです。
慶沢園(けいたくえん)は住友家の茶臼山本邸庭園として、1908年から1918年まで10年がかりで造園されたそうで
日清戦争や日露戦争では戦争遂行の指揮をとった元老だった山縣 有朋の別荘、 無鄰庵を手掛けた庭師「植治」こと小川治兵衛が設計・施工を担当したそうです。
大小3つの島が浮かぶ池の周囲に設けられた林を回遊しながら鑑賞する、日本庭園です。
花菖蒲が咲いていました。
都会のオアシスで夏はひんやりして心地よさそうです。
歩いていたら、ベンチに缶ビールで休憩してるおっちゃんいてました。
緑の中で美味しいビールでしょう。
あずまや「四阿」(この意味がわからない。、「四阿」とかいてあずまやと呼ぶのか?
立て札には四のうえに「あず」。阿の上に「まや」と書かれてた。)
で、ちょっと休憩すると大きな鯉とたくさんのカメが寄ってきました。
カメが物欲しそうに首を思い切り伸ばして立ち泳ぎをしてて、
何かくれると思ってるのかな?
ここは静かだし、今度美術館に来たらまた立ち寄ってみようと思います。
帰ってしらべて見たら
四阿、東屋(あずまや)とは庭園などに眺望、休憩などの目的で設置される簡素な建屋。「四阿」の「阿」は棟の意味で、四方に軒を下ろした寄棟、宝形造などの屋根を持つ建造物を意味する。唐風に「亭」(ちん)とも呼ばれる。和語の「あずまや」は東国風の鄙俗な建屋を意味する。
#
by m-bintang
| 2011-06-03 21:51